自由と気高い終焉へ向かって

経済的理由でも女性の社会進出でもない…世界中で「赤ちゃんいらない」現象が起きている本当の理由 | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン) 

搾取の構造に気づいた女性たち

先日目にしたプレジデントオンラインの記事が興味深いと同時に違和感があったので個人的な考えを書いてみることにした。この記事は、世界的な少子化の本質が経済や仕事の両立といった表面的な課題ではないと指摘している。しかし、記事内にある「インターネットの普及で対面コミュニケーションが減り、社交スキルが下がったために出産率も下がった」という理屈は、的外れな謎理論と言わざるを得ない。

この現象の本質は、インターネットやグローバル化がもたらした「知性の覚醒」と「女性たちの連帯」にある。私たちは、教育と情報の共有、そして過去の女性たちが受けてきた数々の搾取の歴史を知ることで、長らく当たり前とされてきた家父長制の不条理に気づいてしまった。かつて「母性」という言葉で美化され、聖域化されてきた役割の正体は女性の犠牲の上に成り立つ無償の労働であり、家庭や社会が女性から一方的に奪い取る搾取構造であったことを、私たちは知ってしまったのだ。

ネットが暴いた「幸福の幻想」の終焉

SNSを開けば、そこには育児の孤独、キャリアの断絶、そして「個」を消して生きる母たちの苦悩のリアリティが溢れている。これまでは家庭という密室に閉じ込められていた母たちの叫びが可視化されたことで、もはや「知らないから産めた」「みんな産んでいるから産む」という無垢な時代は終わった。

女性たちが互いの多様な生き方を知り、認め合い、「産まない自由」を肯定し始めたこと。それは人類が数千年にわたり維持してきた伝統的な女性像からの脱却であり、自分自身の人生を定義する権利を取り戻す、歓迎すべきプロセスに他ならない。

同時に、それはもちろん「産む」という選択の価値を否定するものでもない。それぞれの選択が、外圧ではなく個人の意志によってなされる自由こそが重要なのだ。

人類の滅亡すらも自由の代償

お察しの通り、この選択がもたらす結果は残酷だ。人口が減り、経済は停滞し、国家というシステムは維持できなくなるだろう。人類という種を存続させるという大義から見れば、紛れもない衰退である。

しかし、ここで問い直すべきは「誰のための存続か」ということだ。

国家のGDPを維持するため、あるいは種の絶滅を防ぐために、今ここに生きている個人の人生が犠牲に供される。そんな風に人を、女を、「社会の部品」や「産む機械」であることを強いる文明に、一体どれほどの価値があるだろうか。

個人の尊厳の尊さ

もし、一人ひとりが自らの意志で自由を貫き、その結果として人類が緩やかに終焉を迎えるというのなら、私はそれを美しい幕引きとして受け入れるつもりだ。

そもそも、私たちは自らの意志でこの世に生を受けたわけではない。それにもかかわらず、生きることに付随するあらゆる哀しみを、否応なく引き受けさせられている。そんな私たちが、まだ見ぬ未来の誰かのために、これ以上の望まない苦痛を耐える道具になる必要などないはずだ。

国家の存続よりも、種の本能よりも、いま目の前にいる一人の人間が自分自身の人生を歩むことの方が、遥かに重く、尊いということだ。

どうせ私たち人類は、戦争を繰り返し、殺し合うことを止められないどうしようもない種族だ。ならば、その最後に残るのが「誰にも支配されなかった個人の自由」であること。それこそが、人類がたどり着ける最も気高い勝利だと思う。