この世の全員が嫌いなもの。満員電車で異議はないだろう。かくいう私も東京の満員電車ユーザーだ。とはいえ、家から会社までは2駅で、出社も週に2〜3回のため、そこまで大きなストレスにはなっていない。
電車の中では、いつも音楽を聴いている。最近のお気に入りはRHYMESTERの『ランナーズ・ハイ』だ。「無理難題あと1109個 だがきっとオレはやれば出来る子!」という歌詞に、涙目になりながら自分を鼓舞している。
今朝もいつも通り満員電車に揺られていたところ、乗車率200%ほどの車内にも関わらず、頑なにスマホでドラマを観ている人がいた。いや、それちゃんと観られてる? というか、周りの迷惑だって気づいてないの?と思った。私以外にも、その人をじっと睨みつけている人がいた。
だが、もしかするとその人にとって、朝の通勤電車でドラマを観る時間こそが、唯一の至福なのかもしれない。そう想像することで、私は無理やり心の折り合いをつけた。
「他人を変えるのは難しい。だから、自分を変えるか、解釈を変えるかしかない」。これが私のモットーのひとつだ。
自分を変えるには、痛みと時間を要する。だから私は、ほとんどの場合で解釈を変えることで何とかやってきた。元々こだわりが強く、他者の言動に傷つきやすかった私にとって、それは生存戦略のようなものだった。
ただ、この戦略には大きな欠点がある。他者との間に問題が起きたとき、面と向き合って対話することを避けてしまうのだ。理解あるフリをしつつ、限界が来たら一方的に音信を断つ。いわゆる「ドアスラム」というやつで、私のようなINFJがよくやるらしい。
先日『ホームレス ニューヨークと寝た男』というドキュメンタリー映画を観た。NYのファッション業界でカメラマンとして働き、エキストラ俳優として映画にも出演しているにもかかわらず、自分の家を持たず、アパートに不法侵入して屋上で寝泊まりするホームレスの男、マーク・レイを追った作品だ。
一見陽気でコミュニケーション能力も高そうに見える彼だが、家族以外に「愛してる」と誰にも言ったことがなく、踏み込んだ人間関係を築けないままこの歳になったと悩みを吐露する場面がある。
「都会の恩恵を享受しながら、家賃という呪縛から逃れる。最高じゃないか!」と羨望の眼差しを向けていた矢先、その場面に突き当たった。
ミニマリストを目指す私が、彼の軽やかなライフスタイルだけでなく、その根底にある孤独や欠陥まで自分に重ねてしまい、急に表情筋が固まった。
私は「解釈」を変えることで、本当に向き合うべき「自分」から逃げ続けているだけなんだ。
私も自分を変えなかったことを、いつか後悔するのだろうか。
だがきっとオレはやれば出来る子?
