『その〈男らしさ〉はどこからきたの?』を読んだ

広告が不安を煽り、世間に空虚な「男らしさ」を植え付けるプロセスを分析した本を読んだ。
​近年、女性に対する性的搾取や「女性らしさ」を強調した広告は、インターネットを中心に厳しく批判されるようになった。広告代理店側もそんな表現には慎重になりつつあるように思う。しかし、それとは非対称的に、記号化された「男らしさ」を全面に押し出した広告は、今もなお、大した批判を浴びることのないままに都市の至る所に溢れかえっている。

​特に興味を惹かれたのは、男性向けの美容系広告から派生したインターネット上の「男磨き界隈」に関する記述だ。彼らが努力の果てに掲げる報酬は、いわゆる「爆美女を抱く」ことなのだという。女性を人間ではなく、自らの価値を証明するための「トロフィー」として扱うその価値観は、人権を無視した支配欲と性欲の露呈でしかない。そのバカバカしさに戦慄すると同時に、今の若者がSNS(主にX)の断片的な情報を鵜呑みにし、自分は抱くことのない空虚な「爆美女」を槍玉にし、無自覚にミソジニーを募らせていく構造の根深さを感じた。

​そして最も印象的だったのが、「都心の景色は広告に塗り込められた家父長制である」という一節だ。都会は一見リベラルで先進的な場所に思える。しかし、街を注意深く眺めてみれば、私たちは保守的で空虚な家父長制に基づくメッセージに、常に不安を煽られ続けているのだ。

​本書の分析を通じ、これまでは自分向けではないと一瞬で視界から排除していたマチズモな広告が、いかに無意識下で人々の規範を縛り付けているか、その悪質性に気づかされた。

​読み終えてふと思い出したのは、大学時代に出会った広告映像制作会社の社長が放った一言だ。
​「俺たちは、広告っていうゴミを作り続けてるんだよ」